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アンカー 1

言葉にする、ということ。

  • 執筆者の写真: ミドリムシ
    ミドリムシ
  • 3月6日
  • 読了時間: 3分

言葉にするのが苦手だ。


なんでだろうと考えてみたら、たぶんだけど「言葉」という仮初めの正解を定めるのが下手なんだと思う。


私は結構思考がバーッと出て散らかるタイプなので、言葉にするものを取捨選択しなければいけない。

こういった長い文章を書くのなんか特に、全体の流れを考えていかなければいけないので、ものすごく疲れる。

だって本当は今も、頭に2~3個ぐらいの書こうと思った文章が同時にニコニコのコメントみたいに頭の中を高速で通過していく。

でも、文章としての流れを成立させるために一個一個内容が大丈夫か確認して。時にはブロックしていかないといけない。

書きたいのに書けない、その感じがストレスなのかもしれない。

本当は「こんなこと考えてるのに!!」と思っているのに手が追い付かない。もどかしい感覚。


そう考えるとイラストや漫画って許容の大きいとても自由な形式だな、と思う。絵にしたって情報の取捨選択はしているはずなんだけど。

一つの中に、明記されない事柄がいっぱい詰まっている。そう考えると文章に対して、チートばりの可能性を秘めている気がする。

文章は一本道なイメージ。だとすれば、絵は立体の情報を有しているのかもしれない。なら文章は平面か?


漫画なら同時進行で別のことが描いてあってもさらっと流して読めるが、例えば文章だと「漫画といえば」あまり「この前買った」そういうことは「やつまだ読んでないなぁ」できないかもしれない。どうだろうか?

…いや、後から()書きなり、文字の色を変えたり、あと文字の大きさとかで補足できるから、やっぱり違うかも。(違う?)


でも言葉にすることで、曖昧なものに形や色が付くので、定期的にしたくなる。下手なくせに。

曖昧だからこそいい時もあるけれど、それだとあまりにふわふわして落ち着かないことがある。自分の中でのもやもやとかの気持ちに関しては特に

だからそういう自分の気持ちと向き合うのは好きだ。考えて気持ちを言葉にすると途端にそんなもんか、と思って急に何でもないことのように思える時が結構ある。


ただ創作に関しては、そもそも言葉の意味が合ってるか、自分の込めたいニュアンスがこれでちゃんと伝わるか、とかいろいろいろと考えてしまって面倒くさくなる。

漫画にしてもセリフを考える作業が苦手だ。いつも後回しにして自分を恨む。

頭の中では『こういう感じのセリフ!!』という曖昧な、雰囲気だけの設計図しかないから、そこの出力に時間がかかる。絵は頭の中の曖昧な設計図のまま描いても成立する。ただ、言葉にするからには解像度を上げなきゃいけないぞ~となる。腰が重い。

自分は、自分の絵を描く作業をコピー機のようだと思ってるけど、文章を印刷する方が苦手っていうのもそう思えば面白いかもしれない。


あくまで私に関して、だけど、言葉にするという作業はローラーで地面をならす作業と一緒なのかもしれない。

すべてが均一にされていく感覚。誰もができて、できた道の上を通じて人々がいろんな感情を交換していく。でもだからこそ、小さく、本当に思ったことまでも、あったら走りづらい道になるだけだから、潰して引き延ばす。


再度言っておくけど『自分に関して』であって、他の人にそう思ってるわけではない。

本当にそう思っているけれど、このニュアンスもちゃんと伝わっているだろうか。伝えられるほどの言葉が自分にないかもしれない。ああ、やっぱりもどかしい。


まぁ、長々とそれっぽくかっこつけて書いてみたけど、たぶんただただ語彙力がないから、苦手なだけだ。

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